最初から自由などなかった。
 この世に生を受けたときには既に囚われの身だった。
 私は、父の、母の、姉の、その他大勢の人々の操り人形でしかなかったのだ。

    *    *    *

 昭和十一年、初春。
 窓の外は白く、深々と雪が降り続いていた。
 御巫久遠は炬燵に脚を入れ、縞柄の丹前を羽織ってラジオを弄っていた。外枠を外し、半田をこてで溶かし、真空管を取り外す。
 同じようにしてコンデンサ、抵抗器、電源部なども全て分解していく。たちまち炬燵の上は電子部品で埋め尽くされた。
 ふと貌をあげると、窓の外に猫が居る事に気付いた。久遠は半田ごてを置き、炬燵から出て窓へ近付くと、窓を僅かに開けた。
「――おいで」
 するり、と猫が部屋の中へ入ってきた。まだ仔猫のようだ。しきりに久遠の脚に身体をすり寄せてくる。
 そのくせ手を差し出すと一瞬驚いたように身体を震わせて距離を取る。手に付いた松脂の臭いが厭なのだろうか。
 部屋の隅へ行ってしまった仔猫をそのままにして久遠は再度炬燵へ潜り込んだ。寒いのは苦手だ。やはりひとりで居ると体感温度は下がってしまうのだろうか。
 工具箱から新しい半田と真空管を取り出す。抵抗器もオームの低い物をいくつか別に用意する。
「さて――」
 意味のない言葉を洩らすと、剥き出しの基板に視線を奔らせ、記憶の中にある回路図と照らし合わせる。
 久遠はおもむろに半田ごてを手に取ると、真空管のソケットに抵抗の少ない導線を半田付けした。そこから頭の中の回路図通りに部品を繋げていく。
 いつの間にか仔猫が久遠のすぐ脇で寝そべっていた。撫でてやりたいが両手はふさがっている。それに――さらに松脂の臭いがきつくなっているだろう。
 額を汗が滴った。顔を近づけすぎていたからだろう。久遠はあまり視力が良くない。やはり幼い頃から本を読みすぎた所為だろうか。
 大きめのスピーカに導線を付け、一通り部品を繋ぎ終えた。原型のラジオからはかけ離れた、唯のがらくたにしか見えないもの。
 半固定抵抗器をねじ回しで動かし、久遠は電源を入れた。
 途端――仔猫が急に起きあがり、慌てたように障子を突き破って廊下へと出て行ってしまった。
 障子に開いた穴を眺め軽く嘆息し、久遠は電源を切る。やはりまだ考えた物と出来た物の乖離があるようだ。
 繋げたばかりの部品を再び解していく。丁寧に半田を吸い取り、導線を巻き取っていく。  再び炬燵の上が細かい部品で埋め尽くされる。
 穴の開いた障子が開いた。
「何をしているんだ?」
 久遠はちらりと声を掛けてきた人を見た。逃げていった仔猫を抱いている。
「――見ての通りです」
「よく解らないな」
 彼は苦笑しながら久遠と炬燵を挟んだ反対側に腰を下ろし、仔猫を放した。
「コロッケを買って来たのだが……飯はもう少し後にするか」
「……そうですね」
 久遠は改めて炬燵の上を眺めた。これではとても食事など摂ることは出来ない。
「暫くお待ち下さい」
 半田ごてを手に取る。
「五分ほどで片付けます」
「そうか」
 彼は軽く頷くと立ち上がり、部屋を出て行った。それまで彼が居た処に仔猫が座る。それを横目で見ながら久遠は作業を開始した。
 手早く電子部品を基板に取り付けていく。分解する前と全く同じ位置に、分解する前よりも綺麗に、丁寧に。
 ついでに検波用の真空管を性能の良い物と交換する。
 最後に外枠を元通り被せて脇に退け、炬燵の上に散らばった細かい塵を布巾で拭い取る。 「――早いな」
 彼が米櫃を携えて戻ってきた。
「八分ほど掛かったでしょうか」
 余計な改造を加えた所為で思ったよりも時間が掛かってしまった。
「それではご飯にしましょうか」
 久遠はラジオの電源を入れた。スピーカからピアノの音色が流れてきた。
 彼が茶碗に御飯を装う。
「コロッケは何も入っていない方をお願いします」
 彼は苦笑いを浮かべながら皿にコロッケを移した。
『戒厳司令部発表――兵に告ぐ――』
 突然ラジオから固い声が聞こえてきた。
『遂に勅命が発せられたのである。既に天皇陛下の御命令が発せられたのである――』
「――何かあったのでしょうか」
 コロッケにソースを垂らしながら久遠は彼に尋ねた。
「永田町の方で陸軍の一部の将校が叛乱を起こしたらしい」
「そうですか」
 私には関係のない事だと、久遠は喧しくがなり立てるラジオの電源を切った。