彼らは東京で出逢った。
 お互い地方から成功を夢見て東京へやってきたのだ。
 成功を手に入れる事は難しい。
 夢破れて帰ろうかと思ったとき――彼らは彼女に出逢った。

*    *    *

 昭和十一年、春。
 日比谷公園の桜の蕾がほころび始めた頃。
 各務八郎は道端に腰を下ろし、呆と桜を眺めていた。
 何もする気が起こらなかった。
 そもそも金もなくて何もしようがなかった。
 田舎へ帰るにも、切符代すら出せない状態だ。
 それこそ――生きて行くには押し込み強盗でも働くしかない程度にまで彼は追いつめられていた。

*    *    *

 先ず彼は仲間を集める事にした。
 とはいえ、彼は今までに仲間と呼べるような連中と付き合った事がなかった。
 一匹狼――と呼べば聞こえはいいが、単に友達が居なかっただけだ。
 そこで彼は上野へ出向き、なけなしの金で衣服を整えた。真っ白のスーツを買った処で金がなくなり、シャツが買えなくなったりもしたが、これで何とか体裁は整った。
 次に彼は街を歩き、使えそうな人間が居ないかを物色し始めた。荒事に向いていそうで、尚かつ此方の指示に忠実に従う男。ただのゴロツキでは駄目だ。ある程度の知性もあって、共に綿密に計画を練る事の出来る男は――
 ふと八郎は駅前の植え込みの側に腰を下ろしている男に目が留まった。濃い色眼鏡を掛けて帽子を目深に被っているが、油断なく辺りに注意を払っているような雰囲気を醸し出している。
「――よう」
 八郎は男に近付いて声を掛けた。側に来て解ったがかなり大柄な体格をしていた。
「……何だ」
 男は八郎に視線を向ける事なく返事をした。やはり何かを探っているのだろう、八郎は男の邪魔にならぬよう隣に腰を下ろす。
「何見てんだい?」
「……お前には関係のないものだ」
 男は簡潔に言葉を返してくる。八郎は男の視線の先を追ったが、動物園に向かうらしい子供達の行列といくつかの屋台しか見当たらなかった。
 さてはその屋台に居る誰かを張っているのか――
「むっ――いかん」
 急に男が立ち上がった。
「どうした?」
 八郎の呼びかけを無視し、男は動き出した。屋台などには目もくれず、不忍池の方向へ歩き出す。
「いかん……このままでは……」
 ぶつぶつと呟きながら歩いていく男を、八郎は首を傾げながらも追いかけた。
 不忍池のほとりにある長椅子に男は腰を下ろした。
「ここならば――問題はない」
 その声は明らかに八郎へ向けられた言葉ではなかったが、八郎は気になって仕方がなかった。男の向いている方には特に怪しげな連中は見当たらない。
「何の問題がないんだ?」
 もしも八郎が考えているのとは逆に、誰かを見張っていたのではなく、男が何者かに追われているのだとしたら大問題だ。大それた計画を実行に移す前に厄介事に巻き込まれるのはご免だ。
「――愚問だな」
 ようやく男は八郎の方をちらりと見た。すぐ側に居ても色眼鏡の奥は窺えない。
「男とは、どんな困難があろうと自らの主義を押し通すべきである」
「……いい事云うじゃねえか」
 この男に声を掛けたのは成功だったかもしれない。
「……どうやらお前も同志のようだ」
「……ああ。アンタみたいな仲間が居ると心強い」
 八郎は男とがっちりと握手を交わした。
「僕は各務だ。アンタは?」
「……熊坂謙吾」
「そうか。……じゃあクマ、これから宜しく頼む」
「うむ。……しかし、我々にはただひとつ、守らねばならぬ事がある」
 そう呟くとクマは遠くを眺めた。
 守らねばならないこと――決して裏切るなと云う事だろうか。確かに押し込み強盗のような真似をしでかすのならば、仲間の裏切りは決して赦される事ではない。
「……男ならば、いかなる事があろうとも、決して手を出してはならない」
「……案外平和主義なんだな」
「無論だ。未成熟な乙女を陵辱するなどあってはならん。遠くから見つめて愛でるのが真の男と云うものだ」
「…………」
 八郎は何も言えなかった。
「まさか……貴様は可憐な乙女の柔肌を陵辱したいと云うのか!?」
「――ンな訳ねーだろ!? この変態がっ!!」
 立ち上がって熱弁を振るうクマを八郎は不忍池へ蹴り飛ばした。

*    *    *

「……そっちはいいか?」
「……問題ない」
 暗闇の中、八郎とクマは声を顰めて言葉を交わす。
 飯田町近くの路地裏、商店が並ぶ一角だ。周囲に人影はない。
 目指す場所は目の前の金貸し屋だ。黒い噂が付きまとっていて、盗みに入っても通報を躊躇するに違いないと八郎は読んでいた。
 押し込み強盗は熟考の末やめる事にした。やはり危険の度合いが高い。少人数でやるのならば空き巣が一番だ。
「行くぞ……クマ」
「――うむ」
 小走りで店の裏口に近づき、金鎚で南京錠をたたき壊す。思ったよりも大きい音が響き八郎は首を竦ませたが、周りの様子は変わらない。
「――開いたぞ」
「わ……解ってる」
 クマを睨み付け、南京錠を地面に叩きつける。
「とっとと行くぞ」
「それはこちらの台詞だ、八郎」
「……名前で呼ぶんじゃねーよ」
 なまらむかつく、と八郎は故郷の方言で呟き、建物の中へ侵入した。
「――暗いな」
「オメーは眼鏡外せ」
 振り向きもせずに八郎は即答した。
「莫迦な事を言うな。これを外したら大変な事が――」
「黙ってろ」
 それこそ莫迦な事を聞いている余裕はなかった。
 慎重に暗闇の中を歩く。さすがにこうも暗いと何も解らない。
「おいクマ、何か灯りになるモンねーか?」
「……黙っていろ」
「アァ? 何言ってやがん……だ……?」
 振り返り、八郎は言葉を止めた。クマの後ろに――何か居る。
「――その通り。静かにする事ね」
 女の声だった。
「貴方たち、ここの従業員――と云う訳ではなさそうね」
 女がクマの後ろから姿を見せる。大振りのナイフをちらつかせ、八郎を睨み付けて来る。猛禽類か毒蛇のような目つきだ。
「何故こんな処に居るのかしら?」
 答えられるはずがない。
「答えないのなら――殺しちゃうわよ」
「ま……待てよっ!! ぼっ、僕たちはっ……」
「あたしたち《清鳳会》に楯突く事の愚かさを教えてあげるわ」
 女はナイフの切っ先を八郎へ向ける。
「せっ……《清鳳会》?」
 聞いた事があった。東京の裏社会に君臨する組織。色々とやばい噂も多く、関わり合いにはなりたくない連中だ。
「このお店はね、《清鳳会》に断りもなく法外な金利を課していたのよ。全く――舐めた真似してくれるわ」
 空いている手で側にある机の上の物を払いのける。書類やペンが床に落ち、硝子のコップが砕け散った。
「何故こう云う話をしたか解るかしら?」
 彼女の問い掛けに八郎は首を横に振った。
「しっ……知らねえよ……」
「――生かして帰すつもりがないからよ」
 女はナイフの刃先をぺろりと舐めた。
「ちょッ――!?」
 さてどうする。八郎は普段あまり使わない頭を働かせ、何とか打開策を見つけようと試みる。
 その結果――
「頼む、いや頼みますっ!! ぼっ、僕を《清鳳会》に入れてくださいっ!!」
「……はぁ?」
 女は心底呆れたように土下座した八郎を見下ろした。
「なんでもする――いや、しますからっ!!」
 それこそ靴を舐めろと言われれば舐める覚悟だった。
 女がナイフを鞘に仕舞う。
「……何なのよ、アンタたち……」
 女の問いに、それまで黙っていたクマが口を開いた。
「我々は――上野界隈の幼女を愛でる会だ」
「んな訳ねーべやっ!!」
 状況も忘れ、八郎はクマの顔面を蹴り飛ばしていた。

*    *    *

 このような紆余曲折を経て、八郎とクマは《清鳳会》に拾われた。
 女――相馬葵は後に述懐する。
『あまりにも莫迦らしくて殺す気も失せた』
 それでも命が助かったのだから八郎には文句のいいようもないのだが――
「ハチ、クマ、さっさと行くわよ」
「……ですから僕は各務ですって――」
 名前を略されるのはどうしても苦手だった。