【戌亥】 「これは……」

現場の状況を見て、戌亥は呻いたきり何も言葉を発さなかった。
一面の血の海。
吊り下げられた遺体。
医者が居たところで何も出来なかっただろう。

【戌亥】 「写真を撮ってくれ」

【高山】 「は……はっ!」

顔色の悪い高山が携えていた布袋からカメラを取り出す。
無理もない。
このような凄惨な遺体は警察官であってもそうお目にかかれるものではない。
フラッシュが焚かれ、一瞬部屋の中が明るくなる。
その度に部屋を埋め尽くす赤色が輝きを増す。

【戌亥】 「――先生は視ましたかな」

弓弦に訊ねる。

【弓弦】 「……外から判ることはざっと調べました。腹部を何度も刺されたようで、それに因る失血死だと思われます」

【戌亥】 「ふむ――」

高山が携えてきた懐中電灯で遺体の腹部を照らす。
赤黒い血は乾いているのか、光はほとんど反射しない。

【戌亥】 「――縫われているな」

まるで帝王切開の後のように、臍の下あたりから陰部にかけて、糸――紐とも呼べるような太いもので縫われた跡があった。

【戌亥】 「……先生は十数年前の事件を覚えていますな?」

【弓弦】 「……ええ」

戌亥の問いに弓弦が頷く。

【戌亥】 「あの時もこのように――遺体が吊り下げられて腹が縫われていた。ここの連中がそれをみて何と言ったか――」

【弓弦】 「……“ヒンナサマの祟り”ですか」

弓弦が溜息混じりに呟く。

【高山】 「……写真撮影、終わりました」

青い顔で高山が報告する。

【戌亥】 「君、刃物は持っているか?」

【高山】 「あ……鋏でしたら」

高山が布袋から裁ち鋏を取り出した。

【戌亥】 「まだ撮るものはあるから準備をしておくように」

そうとだけ高山に告げ、戌亥は遺体に近付いた。
裁ち鋏の切っ先を、腹に通された糸にあてる。
血が染み込んだ紐は固く締まっており、なかなか断ち切れない。
鋏で<抉<こ>じるようにして紐を切断する。
何ヶ所か紐を切ったとき、異変が訪れた。
ずるり、と腹の中で何かが動いた。
咄嗟に戌亥は手を陰部近くへ差し入れる。

ごぼり、という不快な音と共に、赤い塊が開かれた創口から落ちてきた。